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海外眼科医療支援ボランティア活動記録

ミャンマー(旧ビルマ)での眼科ボランティア活動

ミャンマーでのボランティア活動
当院はミャンマーでの眼科ボランティア活動に協力しています。徳島県の藤田眼科 と日本ミャンマー交流協会が中心となって、1999年から年2回それぞれ1週間程度行ってきている活動に参加しています。
こ の活動の主な目的は、日本では主流となってきていて、当院でも行っている「超音波白内障手術」の普及です。現在ミャンマーでの白内障手術の主流は、約20 年前に日本で主流であった「嚢外摘出術」で、この方法は手術時間が長く、傷の大きさも大きくて合併症の頻度も高くなります。基本的に入院しての手術が必要 となります。毎週「超音波白内障手術」を行っていて、執刀件数が2000件を超える私にお手伝いができるのではないかと考えて参加を決意しました。
私の役割は「超音波白内障手術」の技術指導と学会における講演です。活動の様子を写真を交えながら報告します。
ミャ ンマー連邦(旧ビルマ連邦)は、東はタイ、西はインド、北は中国、そして南はインド洋に囲まれた国で、人口は約5100万人、面積は日本の約1.8倍、首 都はヤンゴン(旧ラングーン)です。公用語はビルマ語、国民の90%が仏教徒で信仰心が厚く、ミャンマー人は生涯に少なくとも一度は1週間程度の期間、僧 侶として修行をするようです。国内には多数のパゴタ(仏塔)があり、時間があれば寺院を参拝する習慣が根付いています。
ボランティア活動参加中は当院の診察を休診することとなり、皆様にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

技術指導

ミャンマーでの技術指導
ミャンマーの眼科医たちに「超音波白内障手術」の技術指導をしている私。講義は英語です。ミャンマーの医療水準は世界保健機構(WHO)に加盟している 191カ国の中で190番目という低いものです。これは政治や経済の問題が大きくかかわっていますが、貧しい中でもよりよい手術ができるようミャンマーの 眼科医たちと討論を重ねました。ミャンマーの若い先生方も真剣です。自然と私の指導にも熱が入ります。現地で調達した豚の目を使ってデモンストレーション をしています。

交流

ミャンマーでの交流
最後の夜の晩餐会にて。前列左から東濃厚生病院眼科(岐阜県)金田先生。チョウ・ウィン将軍(ミャンマーで2番目に偉い人)。藤田先生。チョウ・ミン、 ミャンマー厚生大臣。後列左から国立東京病院眼科、大野先生。私です。現在のミャンマーはノーベル平和賞を受賞したアウンサン・スーチー女史を軟禁してか ら日本・アメリカをはじめとする諸外国からの援助をストップされて、厳しい経済状態が続いています。そのような中でも援助に訪れる私たちのような人たちに は手厚いもてなしをしてくれます。チョウ・ウィン将軍にいただいた宝石画を待合室に飾ってあります。

講義

ミャンマーでの講義
現地で調達した豚目を使って白内障手術の実習を行い、超音波白内障手術の技術指導を行いました。約30名の眼科医、医学生を相手に、金田先生とわたしが中 心となって、簡単な講義の後に切開創や前嚢切開の作り方、超音波チップの動かし方などを指導しました。皆さんとても熱心に実習され、こちらがその熱意に圧倒されるほどでした。

講演

ミャンマーでの講演活動
2004年5月よりミャンマー眼科医療協力の一環としてミャンマー日本眼科手術学会(Myanmar and Japan ophthalmic surgery conference)が開催されています。当院院長もこの学会で4回講演させていただきました。発表演題は以下の通りです。
第1回How to improve cataract surgery “in my case”,(白内障手術の上達法―私の場合―) 2004年5月9日、(Yangon, Myanmar)
第2回Phacoemulsification techniques of for beginners,(初心者における超音波白内障手術)2004年10月31日(Yangon, Myanmar)
第4回The conversion from ECCE to PEA in Japan,(日本における白内障手術の変換)2005年11月21日 (Ngwe-hsaung Beach, Myanmar)
第6回Preparations for Phaco Surgery(超音波白内障手術の準備)2006年11月5日(Taunggyi, Myanmar)
講 演では数十人のミャンマー眼科医らが聴講してくれました。これまでの講演のなかで、超音波白内障手術を習得してゆく上での注意点などを説明してきていま す。また非常に貧しい環境の中で少しでも良い手術を患者さんへ提供できるようミャンマー眼科医たちと討論を重ねました。

手術

ミャンマーでの手術
藤田先生の白内障手術は静かに、そして確実に終わっていきました。小瞳孔、過熟白内障、などの難症例が次々と順調に手術されてゆきました。何十人という ミャンマーの眼科医が見守り、なれない超音波白内障手術装置と顕微鏡で、患者さんの中にはチョウ・ミン、ミャンマー厚生大臣のお母さんも含まれていて、測 り知れないプレッシャーの中でも冷静に手術をこなしていかれる藤田先生の技術の高さに感心しました。

ライブサージェリー

ライブサージェリー
ミャンマーで初めての眼科ライブサージェリー(実際に手術をしている画像と音声をモニターで会議室に中継しながら手術の勉強をすること)が2004年の 10月にヤンゴン眼科病院で開催されました。このときの手術室のレポート役を手伝わせていただきました。なれない英語でのレポートに苦労しました。

中日新聞での紹介

ミャンマーでの活動が中日新聞で紹介されました
当院院長が平成17年11月17日の中日新聞春日井近郊版「張り切ってます」のコーナーで、ミャンマーでの眼科医療支援活動に参加していることについて紹介されました。
当院では毎年4月と10月に1週間ミャンマーの眼科医を研修のために受け入れています。期間中はミャンマーの眼科医が診察に立ち合うことがありますのでご理解いただきますようお願いいたします。

サイクロン被害への支援

ミャンマーでのボランティア活動
2008年5月、巨大サイクロンがミャンマーに死者13万3千人以上という甚大な被害をもたらしました。
このため、ミャンマー最大の眼科病院であるヤンゴン眼科病院においても建物の被害などを受け、しばらくは外来や手術が出来ない状況にありました。ヤンゴン眼科病院では当院で研修したミャンマー人眼科医たちが現在勤務しています。
そ こで当院から、日本ミャンマー交流協会を通じて、ヤンゴン眼科病院へ寄付をさせていただきました。この寄付の中には患者様からいただいたお金も含まれてい ます。ご協力いただきありがとうございました。(当院からの寄付はミャンマーの新聞で報道され、ヤンゴン眼科病院から感謝状をいただきましたので、待合室 に掲示します)

第30回国際眼科学会(ブラジル、サンパウロ)に参加して①

第30回国際眼科学会(ブラジル、サンパウロ)に参加して
第30回国際眼科学会が2006年2月19日から24日まで、世界120カ国、12000人以上の参加のもと、ブラジルのサンパウロで開催されました。国 際眼科学会は1857年にベルギーのブリュッセルで第1回が開催され、世界大戦による延期がありましたが、4年毎に開催されています。今回私は眼科医療の 国際協力について学びたいと思ったことと、以前藤田保健衛生大学眼科へ留学していた日系ブラジル人眼科医、エジソン・M・ミヤワキ先生に再会する目的でこ の学会に参加しました。医院の外来は父と弟と医局の後輩に、子供達の世話は母に任せて妻と二人でブラジルへ向かいました。私にとっては1994年にトロン トで開催された第27回以来の参加になります。
日本からは眼科医会会長、三宅謙作先生をはじめ多くの先生方が参加し、講演、レクチャー、ライブ サージェリーを行なわれ、世界各国の眼科医らから感嘆の声と喝采を浴びておられました。おりしもトリノオリンピックでの日本勢の不振が伝えられる中でした が、眼科医の日本勢は金メダル級の賞賛を受けていたと思います。
エジソン・M・ミヤワキ先生との再会もはたせて、観光、食事などを案内してもらっ たり、15年前に愛知県で過ごしたときの思い出話に花を咲かせたりしました。当時の保健衛生大学眼科医局員の名前もよく覚えていて、親切にしてもらったこ とを今でも感謝していました。エジソン先生の祖父は約80年前に私が開業している春日井からブラジルへ移民されたとの事でした。
ブラジルは約 140万人の日系人が暮らす国としても知られており、サンパウロ市内のリベルダージ地区には日本人町が形成されています。街角にはちょうちん型の街灯や鳥 居、数多くの日本料理店、日本語の看板があり、日本の食材や本、日用品が売られていました。町行く地元の人々の会話からはしばしば日本語が聞こえてきまし た。日系ブラジル人の眼科医も多くいるそうで、何人かエジソン先生に紹介してもらいました。中でも印象に残った先生は、初老で完璧な日本語を話すケンジ・ サカタ先生です。サカタ先生は19歳のときにブラジルへわたって2年間は農園で農夫として労働していたそうです。しかし農業は将来性がないと考えて、勉強 して眼科医になったというお話でした。言葉が通じない異国の地で医学を修得することは、日本人移民のブラジルでの生活を描いた小説やドラマから思い描く に、筆舌につくしがたいご苦労があったことと思われます。しかしサカタ先生は「別にそれほど大変ではなかったですよ」と回想しておられました。サカタ先生 の優しい中にも厳しい言葉が見受けられる様子からは、実際はつらいご苦労をされたのだが、建前として話されたのは日本人の心にある「謙遜」ではないかと想 像しました。また日系ブラジル人の約2割が現在日本へ出稼ぎに来ており、その人口が一番多いのは愛知県だそうです。

第30回国際眼科学会(ブラジル、サンパウロ)に参加して②

第30回国際眼科学会(ブラジル、サンパウロ)に参加して2
学会での学術的なトピックスについては、不勉強な私には有用性、将来性が分かりませんが、一番驚いたことは多焦点眼内レンズの進歩でした。ブラジルやアメ リカでは老視に対して、透明水晶体であっても除去して多焦点眼内レンズを挿入するケースが増えているとの話でした。術後屈折度数の誤差の微調節はレーシッ クで行なうそうですが、東京や大阪に比べてレーシックの普及率が低い愛知県では、はたして受け入れられていくのだろうかと考えました。
国際眼科学 会はAAOなどの学会にはみられない、お祭りにも似た友好的なムードが漂っていると思います。登録するともらえるバックパックを持ってサンパウロ市内を歩 いていると、いろいろな国の眼科医が声をかけてくれます。飛行機で隣の席になったアメリカ人女性の緑内障専門医はフライト中ずっと自分が考案したトラベク レクトミーの方法などを講義してくれました。私が留学していた町の近くの病院に彼女が勤務しているということでも話が盛り上がり、一緒にイグアスの滝を観 光することになりました。
イグアスの滝はとても壮大で、自然の偉大さを強く感じました。ここで一宮市の舩橋先生と安藤先生にお会いしました。地球 の裏側で愛知県の眼科の先生方にお会いできるとは不思議な気持ちでした。学会に参加された多くの方々は、学会後にリオのカーニバルを楽しまれたようでし た。
次回の国際眼科学会は2008年に香港で開催予定です。(次回は2年後です)また2014年の本学会開催には日本が立候補しているそうですので、もしも開催されれば我々もブラジルの先生方に負けないよう盛り上げたいと思いました。
(これは「愛知県眼科医会報、2006年5月号」に掲載された記事に加筆したものです)