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タンザニアでの眼科医療支援

タンザニアでのボランティア活動 タンザニアの眼科医療

タンザニアの眼科医療
2007年7月6日から13日まで、東アフリカ、タンザニア連邦共和国の眼科医療を視察する機会があったので報告します。視察を行なった理由は、30年以 上前のアフリカ諸国から名古屋への留学生たちと山崎眼科との交流に始まります。父が仲良くなったタンザニア人に自分の車を無料で譲ってしまったこともあり ましたし、幼かった弟は黒人留学生の肌が汚れているのだと思って一生懸命タオルでこすっていました。その弟も今では眼科医として一宮市の病院に勤務してい ます。時は流れて、留学生の中には母国で大臣になってお忍びで当院をたずねてくれる者もおり、そんな時は当時の仲間が集まって食事をしました。その席で私 がミャンマー眼科医療支援に参加している話題が出ました。この活動は徳島県の藤田善史先生が中心となり、年2回ミャンマーで超音波白内障手術の普及などを すすめている支援です。そのような活動がアフリカでも出来ないか?という話になり、タンザニア大使館関係者の取り計らいで在日タンザニア大使とお会いし、 まずは眼科医療の現状を視察しようという運びになりました。この視察にはミャンマーでの活動の中心メンバーである朝日大学の堀尾直市教授、アシコの竹内護 さん、バンドウメディカルの竹内建司さんが参加してくれました。
セントレアを発ち、ドバイで乗り継ぎ20時間以上かけてタンザニアの首都、ダルエ スサラームへ到着しました。日差しは強かったですが風がさわやかで、同時期の名古屋より過ごしやすいと思いました。現地ではタンザニア外務省の協力のも と、保健省、国立ムヒンビリ大学病院、私立病院などを訪問して眼科関係者と面談し、施設を見学しました。タンザニアの医療の問題点は乳幼児と妊産婦の死 亡、マラリア、エイズ、結核など生命に直接かかわる疾患が重要で、眼科医療まで手が回らないというのが現状の様でした。(医師一人あたりの人口42058 人は世界第5位の医師不足を示している、日本は医師一人当たり489人)人口3445万人に対して眼科医数がわずか30人という数字も眼科医療の遅れを物 語っています。失明原因は白内障が第1位で、手術は一般的にECCEが行なわれていましたが、手術の恩恵をうけるのはごく一部の人に限られています。一 方、ある私立病院ではアルコンのアキュラスやツアィスの天吊り顕微鏡を使って硝子体手術を行なっており、大きな格差を実感しました。我々がミャンマーで行 なっているPEAの指導と普及の可能性について現地の眼科医たちと討論しましたが、乗り越えるべき複雑な壁が多いように感じました。
1泊でサファリツアーへ行きましたが、愛知県の3分の2以上の面積を持つ公園の中で、野生のキリン、シマウマ、ゾウ、カバ、ライオンなどを見ることが出来たこと、夜に満天の星空を見たことは生涯心に残る思い出となりました。
在 タンザニア日本大使ら大使館の方々や、青年海外協力隊として医療支援に従事しておられる日本人と会食する機会もありました。日本を遠く離れた地で多くの 方々が活躍しているということを知りました。大使は名古屋市西区出身、名古屋大学の卒業で、同じ名大を卒業した堀尾先生と共通の話題で盛り上がっていまし た。マラリア撲滅に携っている薬剤師の方は一宮市の出身でした。最も驚いたことは私が客員助手をしている藤田保健衛生大学病院の元看護師がタンザニア人と 結婚して現地に住んでいるということでした。彼女は名古屋市中川区の出身で、私たちの活動の重要な協力者となりそうです。
タンザニアは愛知万博でフレンドシップ国を提携した小牧市の方々と今でも深く交流しており、有志の方々が我々の活動に協力していただく話も出ています。今後は、視察で得た情報をよく検討してタンザニア眼科医療支援をすすめて行きたいと思います。
(写真はタンザニアの眼科医たちと、後列左端が筆者、後列右から2番目が堀尾教授)
この文章は愛知県眼科医会誌2007年10月号に掲載されたものです。

支援活動の開始

支援活動の開始
2007年10月の本誌上で、同年7月に現地視察したタンザニアの眼科医療事情について紹介させていただきましたが、その後我々支援チームが、具体的な活動を開始したので報告します。
視 察後、タンザニア大使館の紹介により、愛知万博でフレンドシップ国を提携した小牧市の小牧ライオンズクラブにご協力をいただくことになりました。同クラブ 結成45周年記念事業として資金提供をいただき、現地で不足していた手術用顕微鏡、超音波白内障手術装置、オートレフケラトメーター、スペキュラ、スリッ ト、モニターなどを購入して、タンザニアで最大の国立ムヒンビリ大学病院眼科へ寄贈しました。2008年4月に小牧市で開催された、小牧ライオンズクラブ から在日タンザニア大使への眼科医療機器寄贈式典の様子はテレビや新聞などで報道されたので、ご存知の方もいると思います。
このような協賛があ り、我々のチームは2008年8月6日から15日まで第2回となる現地での支援活動を行ないました。今回の活動の目的は寄贈機器の組み立てと使用方法の指 導が中心です。前年の視察でタンザニアの大自然に感動した朝日大学教授の堀尾先生と私は、子供たちを含めた家族連れで参加させていただきました。日程の前 半は世界遺産に登録されているンゴロンゴロ保全地域でライオン、ゾウ、サイ、シマウマ、ヌー、カバ、フラミンゴなどの野生動物と広大な景観を楽しみまし た。
 とても豊かな気持ちになって、首都ダルエスサラームでの本題の支援活動に入ろうとしたところ、寄贈機器は港までは到着しているものの、書類 がそろわないため税関を通過できず、大学病院まで届いていないとのことで一同がっかりしてしまいました。しかし我々の活動には、約10年前から徳島県藤田 眼科の藤田善史先生が中心となって行なっている、ミャンマー眼科医療支援活動の中心メンバーが参加しており、機材がない中でもひるまず、寄贈機器取り扱い の指導、寄贈機器の贈呈式典などを有意義にこなしました。
タンザニア眼科医をはじめとする関係者へ、堀尾先生が「フェイコ手技の実際」を、私が 「ECCEからフェイコヘ移行する意義」をレクチャーしました。寄贈式典はムヒンビリ大学の学長らにご参加いただいた中で盛大に開催され、現地関係者の喜 びを強く感じました。大学病院眼科の代表であるマフウィリ先生からは「これまでのわが国への眼科寄付の中で最高に充実した内容である」とのお言葉もいただきました。
我々の現地での活動をサポートしてくれるのは、日本人看護師で、タンザニア人と結婚して現地で暮らしている横江美貴さんです。彼女は名 古屋市中川区の出身で、私が外来を担当している藤田保健衛生大学病院で以前は勤務していました。今は在タンザニア日本大使館で勤務しており、2児のお母さ んでもあります。横江さんが、寄贈式典の折に現地語であるスワヒリ語で自己紹介をしたときには、一同から「このグループは我々の母国語を理解してくれるメ ンバーがいて、気持ちをより深く理解してくれるであろう」という信頼感が伝わってきました。
主目的である寄贈機器の組み立てと使用方法の具体的な指導については、2008年9月27日から10月4日にかけて、わがチームの技術員2名が現地でこなしてくれました。
また、10月29日には我々の活動に対して、東海経済界有志の団体「東海・経営と心の会」から「こころの賞」という賞をいただきました。この賞は各界著名人も受賞しているとのことで、賞に恥じないよう、これからもますます充実した活動をすすめてゆきたいと思いました。
(写真はムヒンビリ大学での寄贈式典にて、前列右から横江看護師、堀尾教授、筆者、ポランギョ副学長、マフウィリ先生)
この文章は愛知県眼科医会誌2008年12月号に掲載されたものです。

一葉の思い出

一葉の思い出
幼少期に外国人留学生に接して「人間同士」を実感
―育まれたその思いが海外での眼科支援活動に繋がる―

 近年、海外で の眼科支援活動は、臨床眼科学会などでセッションとしてとりあげられ、報告にふれる機会があると思います。私は、藤田善史先生(徳島市、藤田眼科院長)が 中心として行なっている「ミャンマー眼科支援活動」へ参加させていただき、また、堀尾直市先生(岐阜市、朝日大学歯学部附属村上記念病院眼科教授)ととも に「タンザニア眼科支援活動」を進めています。
 私の外国人との交流は、幼少時に眼科医である父が、毎週のように外国人留学生を自宅へ招いて共に 食事をしたり、遊んだりしていたことが最初です。父が仲良くなったタンザニア人へ自分の車を無償で譲ってしまったこともありました。留学生の中には大臣や 駐日大使になって再び山崎眼科を訪問してくれる方もいました。その後私は眼科医となり、米国への留学も経験して、自分が日本の眼科医であるという誇りを持 つと共に、世界の眼科医と交流しながら意義ある活動に参加したいという考えを抱くようになりました。
2004年に藤田先生へ志願して、ミャンマー での活動に参加しました。日本の第一線で活躍している、職場も医局も異なる眼科医たちが、厳しい環境下で協力し合って、困難症例を克服してゆくさまは WBCの日本チームを彷彿させ、心から感動しました。また2007年には以前の縁からタンザニアでの活動を堀尾先生たちと始めることになりました。在日タ ンザニア大使館の皆さん、愛知万博でフレンドシップ自治体を提携した小牧市の小牧ライオンズクラブの皆さん、タンザニア人と結婚して現地の日本大使館に勤 務している日本人看護師の横江美貴さん(彼女は私が非常勤医として外来を担当している、藤田保健衛生大学病院で以前勤務していました。不思議な縁です)ほ かにも多くの方々のご協力のもと、喜んだり、がっかりしたりしながら活動をすすめています。
そしてこれらの活動の基本理念は、私が幼少時に外国人と接した中で感じた「人間なんて皆同じ」という思いに繋がっているような気がします。
(写真は1970年代自宅にて、両親、外国人留学生に囲まれて)
この文章は千寿製薬発行の「銀海、No.207、2009年夏号」に掲載されたものです。

活動の記録

第1回 タンザニア眼科支援活動
● 活動日程:2007年7月6日-7月13日
● 参加者:山崎眼科 山崎 俊先生
朝日大学村上記念病院 堀尾 直市先生
バンドウメディカル  竹内 建司氏 
横江美紀(看護師 現地在住 ボランティア参加 )
アシコ 竹内 護      
● 訪問先:タンザニア共和国(ダルエスサラーム市の国立大学付属病院とその他の眼科施設)
● 目 的:各施設の眼科医療の現状を調査し、意見交換を行って、現在のミャンマーチームで、実際に医療活動が必要か、また、どのようなことができるかを検討する 
現地調整:在日本タンザニア大使館の清水さん、日本アルコンの石井さん、

第2回 タンザニア眼科支援活動
● 活動日程:2007年7月6日-7月13日          
● 参加者:山崎俊先生(山崎眼科)、ご家族、
 堀尾直市先生(朝日大学 村上記念病院)・ご家族、
 竹内建司(マキノ・バンドウメディカル)
 大澤新(日本アルコン)
 貞廣光佐子(日本アルコン)
横江美紀(看護師 現地在住 ボランティア参加  )
  竹内護(アシコ)
● 訪問先:タンザニア共和国(ダルエスサラーム市の国立大学付属病院とその他の眼科施設)
● 目 的:山崎先生と堀尾先生がレクチャー受講者8人中、フェイコ経験者が2名、I/A経験者も 2名。現状を見せていただく為、ムヒンビリ病院のオペ見学Dr.Judith、ナース3名に説明を受けた。合計3例見ることができた。
小 牧ライオンズクラブの協賛で日本から中古眼科検査機器、手術機器が寄贈できることになり船積みでタンザニアに送った。しかしながらタンザニアの受け入れな どの事情により貨物が病院まで届かなかった。出席者は約30名、器械は滞在中に届かなかったものの、盛大な寄贈式典を催していただいた。

第 3回 タンザニア眼科支援活動
● 活動日程:2008年9月27日-10月4日
● 参加者: 竹内建司(マキノ・バンドウメディカル)      
 竹内護(アシコ)
横江美紀(看護師 現地在住 ボランティア参加  )
● 訪問先:ムヒンビリ病院
● 目 的:前回船便で送った貨物が届かなかった為、竹内建司、竹内 護で再度訪問、開梱、設置、作動確認、
その後 現地医師、看護師、技術者らに取り扱い説明を行う。

第 4回 タンザニア眼科支援活動
● 活動日程:2009年3月14日-3月21日
● 参加者: 竹内建司(マキノ・バンドウメディカル)      
 竹内護(アシコ)
横江美紀(看護師 現地在住 ボランティア参加  )
● 訪問先:ムヒンビリ病院
● 目 的:  超音波白内障手術装置の作動原理と取り扱いについての講義を行った。
また、前回設置した検査機器、手術機器が正常に稼動しているか、稼動中の問題点及び器機の点検を行い、作動状況を確認した。
また、手術器機の特にフェイコマシンについて現地の医師たちと実際の患者での手術に立会い作動確認、追加の取り扱い説明を行った
検査機器など寄贈機器以外の機器に関してもメンテナンスを行う。

第 5回 タンザニア眼科支援活動
● 活動日程:2009年9月25日-10月3日
● 参加者: 山崎眼科 山崎 俊先生
         朝日大学村上記念病院 堀尾 直市先生
  竹内 建司(テイクオフメディカル) 
河野 仁郎 (日本アルコン)
貞廣美佐子(日本アルコン)  
田宮智佳民 (元日本アルコン)
横江美紀(看護師 現地在住 ボランティア参加  )
竹内 護(アシコジャパン)
● 訪問先:ムヒンビリ病院
● 目 的: 堀尾先生を中心として、現地眼科医へ超音波白内障手術手技を、小牧ライオンズクラブより  寄贈された機器を使用して直接指導また、検査機器、手術機器が正常に稼動しているか、稼動中の問題点及び器機の点検を行い、作動状況を確認した。
検査機器など寄贈機器以外の機器に関してもメンテナンスを行う。
(報告者、竹内護)

第6回以降の活動はこちらをご覧ください→「タンザニア眼科支援チーム